ルールブックは、大雑把にいえば、時間や約束の厳守、安全、時間など周りへの配慮、コースの保護などエチケット・マナーに関する部分とノーペナ、1ペナ、2ペナなど実際のプレー局面とそこでの処し方に関する部分で構成されている。
ルールブックは、エチケット・マナーから始まる、これがゴルフ。エチケット・マナーは、その全てを網羅できるものではなく、その全てを覚えなければならないものでもない。人並みの品性がありさえすれば何とかなる。
そしてゴルフというボールゲームの特性を理解すれば、おのずと身につくものである。ゴルフコースは、その日賃貸しているにすぎない。その日そのコースは、多くのプレーヤーで共用している。振り回すゴルフクラブと飛んでいくボールは、危険なもの。これらゴルフの特性から推し量れば、ゴルフのエチケット・マナーは、誰にでも理解できるものだろう。
ゴルフは、審判のいない自己申告のゲーム。セルフジャッジであるがゆえ、ルールはその人の心の中にあるものだと思う。
誰も見ていないからといって、林からボールをフェアウェイに蹴り出す人、本気の空振りを素振りと言い張る人、バンカーから手の5番でナイスアウトする人など、ゴルフ場にいて欲しくない輩も少なからずいる。
スコアシングルになるにはそれ相当の時間がかかるが、エチケット・マナーシングルになるには時間を要しない。なぜならそれは、プレーヤー一人一人の心構え次第だから。
「卑しきシングルより、正直たるダッファーたれ」 (球聖 ボビー・ジョーンズ)
ちなみに、シングルとは、ハンディキャップ1桁のプレーヤーをいい、ダッファーとは、初心者を指す。
ゴルフ以外のスポーツでは、ゲームでのいろいろな局面をジャッジする審判、ちなみに野球では球審、塁審、線審を、サッカーでは主審、線審を配する。格闘技ではレフェリー、相撲は行司など。
本来あらゆるスポーツは、第三者のジャッジなくして競技は成り立たないものである。確かにゴルフも公式競技では、審判員、マーカーという存在はあるものの、これらは何かルール上に問題が発生した場合の裁定役、スコア記録役に過ぎない。
ゴルフというボールゲームは、自己判断、自己申告、審判不在で成り立つ稀有なスポーツであり、そのためプレーヤー自身が厳格な審判員でなければ成り立たない。ここにゴルフゲームの真髄がある。自分で自分の行為を申告し、その行為に見合ったペナルティを自分で課し、スコアカードに自分で正しい数字を記入する。
スコアは多く間違えてもいいが、間違っても過少申告はいけない。競技であれば、失格に。これができない人は、いずれ誰にも相手にされなくなる。コースにいられなくなる。
何年もの間共に仕事をするよりも、その日1日18ホールを共にゴルフをして過ごす方が、その人間をよく知ることができるという話がある。
ゴルフには、その人のひととなりを知り得るたくさんの要素が入っている。挨拶、時間の厳守、周りへの気配り、コースの保護などエチット・マナーは、ゴルファーである前に、人としてなすべきことを教えてくれる。
スコアの良し悪しは別として、一緒にプレーしていてとても気持ちのいいゴルファーがいるのに対して、周りの人たちを不快にしてしまうゴルファーもいる。どうせ、好きなゴルフを楽しむのなら、「彼とのラウンドは愉しい」「彼とのラウンドでは時の経つのも忘れてしまう」「また彼とラウンドしたい」と言われたいものだ。
「ゴルフというボールゲームは、
自分の人柄を公表するゲームだ」 (全米ゴルフ協会創立者 チャールズ・マクドナルド)
自分のボールには、誤球でのプレーを防ぐための目印、識別マークを付けておく。
ティグラウンドに上がるのは、ティショットをするプレーヤーだけ。ティグラウンドの周りでは、静かにする。
打ち込み禁止。危険回避、注意喚起のためには、恥ずかしがらずに、大きな声で「フォア―」と叫ぼう。
スロープレー禁止。予備球の準備、クラブ2~3本を持ってボール位置へ。いずれも有効な時短の手段だ。
コースを傷つけない。ターフを削り取ったディボット跡には、ターフを戻すか目土の砂を入れる。コースの保護、後続プレーヤーへの気配りは、プレーヤーのエチケット・マナーである。
バンカーでは、土手を崩さぬよう低い所から入り、ショット後は、サンド面をならしながら低い所から出る。
グリーン上のボールの落下によってできたグリーン面の凹み損傷、ボールマークは、グリーンフォークで直してから、立ち去る。
グリーン上でのスコアブック記入はNG、さっさとグリーンを離れる。